原爆投下の日に思うこと.

6 8 月, 2009 (08:18) | コラム(ライフスタイル), コラム(介護・福祉・医療), 推薦図書

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本日,5時起床.昨日に続き,ココロもカラダも,トーンダウン気味です.疲れているかわけではないのですが,何となく,気分が落ち込んでいます.気分が落ち込んでるっていうのも・・ 何となく違う気がします.人からもしも,オーラが出ているとするのならば,このオーラが確実に減退しているように思います.

以前誰かに,露木さんのオーラの色は,赤とか紫とか,赤紫とか,七色とか,言われたことがあります.七色なんてあるんですかね.それぞれ,どんな意味を持っているのでしょうか. 

さて,本日の話題は,今日は何の日? についてお話をしたいと思います.もう皆さん,日本人であれば,誰もが知っている,忘れない日ですね.そうです.『原爆記念日』です.

1945年(昭和20)8月6日午前8時15分,広島市に原爆が投下されました.瞬時に20万余の人命が奪われたとされています.被爆者数はおよそ36万人余とされています.本日,広島では犠牲者の霊を慰め世界の平和を祈念する式典が行われます.麻生総理をはじめ,舛添厚生労働大臣も出席します.また,59か国の代表が参列し,国連総会のデスコト議長やマレーシアのマハティール元首相も献花をおこなうことになっています.

秋葉市長は,式典で読み上げる平和宣言の中で,「核兵器のない世界を追求する」と明言したアメリカのオバマ大統領への支持を表明し,核廃絶を願う多数派を「オバマジョリティー」と呼び,平和市長会議が目指す2020年までの核廃絶を,英語を交えて訴えることとなっているようです.が,肝心のオバマ氏は参加しないようです.一度,自分の目で,核の脅威・猛威を再認するべきだと思います.現地に足を運び,人々の言葉に耳を傾けるべきです.日本人は,アメリカ人の「おこない」を攻めたり,責任を負わせたりはしません.あの頃は,どの人も,どの国も,正常な判断で,決断できた人,国はなかったのですから.だからこそ,戦争は愚かで,心優しい人々心を「悪」へと変貌させてしまうのです.戦中におこなわれたことで,正しいことなんて一つも無いのです.だから,戦争は「いいか」「わるいか」と問われれば,どんな理由があるにしろ,「悪」なんです.

こういったシンプルなことを,子どもたちや次世代の人々に伝えていかなければいけないのだと思います.勿論,憲法改正.9条の改正についての議論も,もっと,国民が声を上げて,ディスカッションすべきですよね.今の日本国憲法は,いいとか,悪いとかを別にして,日本国民の手で作られた憲法ではないのですから.このままでいいのか,修正が必要なのか,修正が必要であれば,どこをどのように変更すべきなのか,国民の意見が反映される必要があります.そう,「このままでいい」と言うのも大切な意見なんです.

オバマ氏の言う「核兵器のない世界」とは何なのか? アメリカ経済が脆弱化した現在,アメリカ国内で軍事費に資金を投入できないから,「他の国も軍縮しよう」という論理で,もしこの言葉を発したならば,罪ですね.心から,「平和」を念願し,それを追及するために発せられた言葉であって欲しいですね.

人や国が「2」以上になれば,力関係が必ず生じます.この「力」を何によってコントロールするかと言う問題です.世界全体の価値観が,フェアーであることが一番の「権威」となればもっとかわってくるのかもしれませんね.しかし,資本主義経済のもとで,平等とは,上にも下にもいける自由があることですから・・ せめて,世界的な危機(経済的にも,環境的に,すべての意味において,末法です)をすべての国,すべての人々が,手を取り合って,支えあっていきたいと思います.

自分もそうですが,自分が一番ですものね.でも,自分一番だと,うまくいかないときもあります.

今私がうまくいっていない,シックリきていない原因は,ここにあるのかなぁ~と思っています.自分のことばかり考えているのだと思います.それは,良くも,悪くもですが・・ もう少し,他者の為に生きていきたいと思います.

只今,8時15分,PCのキーボードから手をあげ,目を閉じて,平和を念願しました.とても小さな行動ですが,これが未来に繋がっていくのだと思います.

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