慈善組織協会/セツルメント運動
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本日5時起床.
さて,本日は,昨日お話できなかった学芸大の講義のお話をしたいと思います.昨日は,援助技術演習のお話をしましたので,本日は「社会福祉援助技術論」です.
現在,ソーシャルワークの歴史について講義しています.昨日は,その導入部分でした.具体的には,慈善組織(化)協会(COS)と,セツルメント運動(活動)について講義をしました.
まず,発生の背景として,19世紀後半のイギリスの社会を理解する必要があります.産業革命は,経済活動と人々の生活に直接的に影響を及ぼします.木綿工業は機械化され,蒸気機関は改良され,様々な工業が変化しました.これに伴い,工場は新たな工員を必要とし,農村部から人口が流出し,都市化が進行しました.更に,低賃金労働や急速な都市化に伴う衛生問題など,様々な社会問題が生み出されました.その核となる問題が『貧困』でした.
当時,貧困の原因は,社会にあるのではなく,怠惰や堕落,怠けといった個人的な要因に問題があると考えられていました.しかし,ブース(C.Booth)やラウントリー(S.Rowntree)などによって行われて社会調査から『貧困は,個人の怠けや堕落といった個人的要因だけでなく,経済活動を優先する社会が貧困を生み出している』ということがわかりました.つまり,貧困とは,社会的問題あり,社会全体で取り組むべき課題であることがわかりました.
これに対応したの①慈善組織(化)協会(COS=Charity Organization Society)と,②セツルメント運動(活動)でした.
①慈善組織(化)協会【COS=Charity Organization Society】 *以下,COSと記述する.
COSは,1869年に最初のCOSがロンドンに設立されました.1960年代には,ロンドンにたくさんの慈善組織があり,それぞれの組織が救済(救貧)のために活動をおこなっていました.しかし,組織間相互の情報交換や協力が不十分であった為に,まったく支援を受けていない者や逆に重複して支援を受けてる者といったように適切に支援が行えていない状況や,児童の危機的状況や犯罪の増加などに効果的に対応できていなかった・・などの問題がありました.そのため,バラバラの慈善組織が一つに集結しました.これがCOSです.その後アメリカにわたり体系化,理論化させていきますが,そこからソーシャルワークの超有名人リッチモンドがでてきます.が,今日はお話しません.
②セツルメント運動(活動)
セツルメント運動とは,知識や財産を持つものがスラム街に入り込み,生活に困窮している人々や家族と生活を共にしながら,人間的な接触を通じて地域の社会福祉の向上を図ろうとする事業の展開です.セツルメントは,「住み込む」「調査」「改良」の三つが重要となります.世界最初のセツルメントは,ロンドンの「トインビー・ホール」です.初代館長はバーネットです.バーネットは,1975年のオックスフォード大学での講演で,イースト・エンドの労働者階級の物質的,精神的悲惨さや,大学人が直接果たすべき役割として,イースト・エンドに赴き,教育の力で労働者階級に奉仕することの重要さを説きました.これに感銘を受けた経済学者のトインビーは,学生と共に赴き,生活困難の状態にある人々と生活を共にしながら経済学の研究を続けました.が,31歳という若さで亡くなってしまいます.この功績から「トインビー・ホール」という名前がつきました.
また,アメリカでは,アダムズの「ハル・ハウス」が有名ですが,これは世界最大規模のセツルメントです.ハル・ハウスは,独自の活動を進めていきますが,子どもたちや移民,労働者の諸問題にグループの力を活用させながら,社会改良を試みました.
①COSは,ケースワーク(ソーシャルアドミニストレーション)に,②セツルメントは,グループワークやコミュニティワークに直接的な影響を与えたといわれており,その出発点といえます.この後,1920年代~実質70年代までは,ケースワーク,グループワーク,コミュニティワークはそれぞれに理論形成されていきます.1970年代以降,ソーシャルワークの統合化の流れの中,三つの技術が一つに束ねられていきます.それを後押しした理論が,システム理論であり,生態学(エコロジカル)視座です.1990年には,ジェネラリスト・ソーシャルワークが浸透していきます.
と,今日の講義はここまでです.
> 左:中央法規出版 右:ミネルヴァ書房 参考文献です.
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