私が病院を辞めたわけ その2 ~価値観の崩壊と価値観が変わる大きな出来事

1 10 月, 2011 (06:41) | コラム(ライフスタイル), コラム(介護・福祉・医療)

本日も,昨日に引き続き,「私が病院を辞めたわけ」をお話ししたいと思います.


その前に,本日から10月です.そして,私,新しい職場へと着任.今日は,これから引っ越しをします.また,後程その模様もお伝えできればと思います.


■第二章■ 『価値観の崩壊』


私がソーシャルワーカーになって,今まで幾つかの大きな転機というか,自分の価値観や考え方に大きな影響を与えた出来事って幾つかあるんですね.


その一つが,2001年にアメリカでおこった「9.11」です.同時多発テロです.


この時,無力感というより,自分が信じているものや,価値が全部否定された気がするんです.


この頃は,自分自身若かったし,アメリカや,強者の理論で生活や価値を規定していた部分も否めなかったです.昨日お話しした何万もするシャンパンを高級レストランで飲むことを幸せと思っていた価値観が多少なりともあったからです.


その結果,ソーシャルワーカーとして少し,スランプに陥ったんです.自分が正しいと思ったことが,全部,目の前で崩れていく危機感というか,自分が見ているものは偽りや虚像じゃないのかなぁって思うようになりました.そう,あのツインタワーが,ガタガタと崩れていく様子同様に.


何を信じたらいいのか分からなくなっていました.ソーシャルワーカーとしても,自信を無くしていくというか.


皆さんも,ご存知だと思いますが,私たちソーシャルワーカーのよりどころとする二つの考えがあります.


それは,人権擁護と,社会正義です.これは,IFSWのソーシャルワークの定義でも明確にされています.


で,このテ同時多発テロや,その後のアメリカの対応.日本の対応を考えると,一体,人権とはなにか? 誰がこの人権,つまり生きる権利を定め,裁くのか.そして,何より,社会正義っていったい何なんだということを考えたんです.


そして,今のソーシャルワークが,しっかりこの問題に立ち向かい,向かい合っているのか,本当に疑問に思いました.結局,社会的排除を生み出し,社会正義を歪めただけなんじゃないか,なんて考えました.


私が,目指しているソーシャルワークって,こんなことなんだっけ? ソーシャルワーカーってこの状態に何も行動しなくていいんだっけ? って思うようになったんです.


この時から,ものごとの真意というか,裏にある意味や,事実を自分の手や目で確かめない限り,口にしたり,選んだり,人とに伝えたりすることはやめようと思ったんです.


その後,より真実を自分の目や耳で見聞きするために,見分を広げるために大学院に進学するんです.大学院への進学は,大学卒業後から計画していたことですが,一層その目的が明確になりました.


大学院を修了した後は,自分の目指すソーシャルワークというか,私の中で,ひとつソーシャルワーカー(ソーシャルワーク)の明確な価値に気がつくんですね.


その新しい価値観というか,ソーシャルワークのビジョンを持って,新卒の時から務めていた病院を退職し,一から手作りで病院づくりをしたいと思い,新たな病院へと転職を決めました.真新しい病院で,スタッフも,管理職も皆一丸となって,本当に続くりで病院や病棟,システムを作っていきました.医療福祉相談室も一から作っていきました.とても充実した時間でした.


まだ同時に,大学や専門学校講義や,外部の講習会や講演などの機会もどんどん増えていき,私のソーシャルワークを伝授,教授する機会を得ていきます.この時くらいから,ドンドン忙しく忙しくなっていくんですね.


でも,この忙しい中で,得たすべての経験や体験が,今の私を形成しているし,とってもとっても大切な時間でした.本当に,充実した5年でした.


■第三章■ 『価値観が変わる大きな出来事』


さて,このように,価値観が大きく崩壊し,新たな価値観や生活を見出し一見順風満帆のように見えますが,昨年末位から,昨日お話していたように,自分の表現方法や活動方法に疑問を感じるようになってきたんです.


これらの疑問の払拭するように,かなりの頻度で旅に出ることになるんですね.旅先も都会や温泉地といった人がドンドン集まるところでなく(温泉地は大好きですが),自然があるところ,自然を感じ,体感できるところへと積極的に旅するようになりました.


南の海や,苔むす森林に入り,自然の中で,瞑想をするようになりました.ソーシャルワークを学び,エコロジカル(生態学)を学ぶ中で,人と環境との交互作用って,身を持って体感できる気がしました.そして,その中間を感じ,瞑想することは,まさにソーシャルワークだぁ~ なんて思って,大自然でゆっくりと時間を過ごしました.


自然の中で,感じることは,人間なんて無力ということです.つまり,ソーシャルワークの人と環境でいう人は,環境と同等のように論じられやすいですが,本当に無力です.つまり,環境を無理に変えることなんて到底できなくて,また人だってそんなに簡単に変化し,環境になんて順応できないのだと思いました.私たちソーシャルワーカーは,その調整をする仕事なんだと,強く感じた時に,もっと肩の力を抜いて,自然と,その人の力を信じていけばいいんじゃないかぁ.なんて思うようにもなりました.


で,ソーシャルワークって,実は,東京や都市部の強者の理論で,調整しているんじゃないかって思うようになったんです.昨日も少しお話ししたように,雨が降っても,都会の強者の理論では,それを人工的にどうにかしようと,つまり環境を無理やり変えようとする考え方.ソーシャルワークも,そうなっていないかぁ? って思うようになりました.


人へも,適応や順応と称し,強者の作った生活感や幸福感にあてはめてしまっているのではないか?って.昨日で言う,高層ビルやホテルのレストランで,何万もするシャンパンを飲む生活や幸福を,人の幸せにしてしまっているのではないかって.


今までの私は,人も,環境も結構無理に変化させていたような気がしました.


でもやっぱり,太古の森や,深海に身体を置くと,そんなものが全部幻想に思えるし,理論的に不可能であることがよくよくわかるんですよね.


人が,自然をコントロールすることなんてできないんですよ.


いや,人は,この大自然のごくごく一部でしかないことがよくわかります.


そんなことを,昨年末位から強く強く思うようになって,その矢先・・・・ 忘れもしません,忘れることないでしょう.


『3.11』


東日本の大震災が起こります.まだ,私,この震災のことを考えると,震えたり,泪が出てきます.つまり,まだ乗り越えていないんですね.私自身.


一方で,前述のように,「やっぱり」という気持ちもあるんですよ.自然になんて逆らえなし,人間の「安全」や「システム」なんて幻想だって思っていた矢先のことですから,大津波だって,東電の原発事故だって,全部全部現代人(とりわけ強者)の「エゴの結晶」だと思いました.


つづく


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