1950年~60年代のソーシャルワーク

15 6 月, 2010 (08:20) | コラム(ライフスタイル), コラム(介護・福祉・医療), 推薦図書

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入梅したみたいですね.昨日の雨は,梅雨時のサラサラとした雨が断続的に続く,雨でしたね.


昨日は,雨の大移動でした.午前中病院勤務の後,学芸大学での講義だったので・・・ 病院が横浜で,学芸大学は武蔵小金井とか,国分寺っていうところにあるので,かなりの移動距離です.


電車の乗り継ぎなども余裕無く,電車から電車へと飛び乗る感じです.昼間の電車は,朝の緊張感は無く,和らぐ車内ですが,私は安らぐことなく,電車の乗り継ぎにドキドキしながら,移動しています.


昼間の天気のいい日は,空を見上げてノンビリしたいなぁ~ なんて思ったりもします.


移動中,東京と神奈川を分ける「多摩川」という川があるんですが… その鉄橋を渡る時に,目の前が一気に広がって,空一面が現れるのです.電車は,地下の壁やビルすれすれを走っている為,空が全然見えない・・・ 視界としては,数メートルなので,この鉄橋を渡るときは一気に視界が開けます.


ノンビリお弁当でも広げて,シャンパンでも飲みたいなぁ~なんて思っちゃったりします.


でも,数秒後には,またビル… そして,東急田園都市線(渋谷-中央林間)は,この多摩川がある二子玉川駅を過ぎると,地下となるのです.


◆◆◆


昨日の講義のフィードバックをすると.


援助技術演習(相談援助演習)の方では,前期の講義目標である「自己覚知(自己理解)」・「他者理解」を掘り下げていますが,昨日は「他者理解」ついてロールプレイを行いました.他者や相手の立場になると視点や言動や,役割が違うことを理解してもらいました.ソーシャルワーカーは,その場に存在するすべての人の役割や機能,思いや状況を的確に把握しながら話をすすめていきます.


次に,援助技術論(ソーシャルワーク論)では,1960年代のアメリカの社会状況を整理する中で,当時のソーシャルワークがどのように対応したのか.対応できなかったのかを解説しました.


公民権運動や人種差別の問題,貧困問題,青少年の非行や犯罪などの社会問題が蓄積された時代です.その時代を変革しようと,当時のアメリカは社会変革を求めていました.


1930年代以降のソーシャルワーク(ケースワーク)は,フロイトの台頭により診断主義や,機能主義が中心的モデルとなりました.このモデルは,個人を中心とする援助モデルであるため,リッチモンドが提唱した「社会環境」への視点が徐々に薄れていきました.また,ソーシャルワーカー界内における「診断主義」「機能主義」論争・対立が激化し,肝心のクライエント不在の支援・議論となってしまいました.


この状況に,マイルズは「リッチモンドへ帰れ」と… パールマンは「ケースワークは死んだ」といいました.


その後,上述のパールマンは,利用者の目の前にある「問題」に着目し,その問題解決がソーシャルワークの目的であるとした「問題解決アプローチ」が提唱されます.


ここからは,次週の講義なので・・・・ ストップ.つい,ソーシャルワークの話になると,夢中になってしまい,授業でやっていないところまで話が進みそうになってしまいました… のでストップです.


昨日の講義で紹介した文献を紹介しておきます.


  1960年代のアメリカを理解するための映画2作品です.まだ,見たことがない方は是非お薦めします.マルコムXとてもいい映画です.フォレストガンプは見た方もいいかもしれませんね.


  マルコムXの自伝です.ソーシャルワーカーは,権利に関する意識がとても高い専門家です.が,この意識が根付いたのは実は,1960年代なんです.『社会』環境や『社会』問題を忘れた『ソーシャル(=社会)』ワーカーが,批判された時期です.このとき,ソーシャルワーカーが重視した視点は,アドヴォカシー(アドボカシー).つまり代弁機能であり,現代的訳語で言うと「権利擁護」の視点です.

 あと,グループワークを知りたいかは,この本を推薦いたします.


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