『日常』~生と死の混在

28 12 月, 2009 (08:15) | コラム(ライフスタイル), コラム(介護・福祉・医療), 推薦図書

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本日5時起床. 雨上がりの東京でした.街が顔を洗った後のように,髪を洗った後のように・・ さっぱりしていました.気持ちのいい朝でした.

◆◆◆

昨日は,一日朝から外出でした.自宅を出たのは,7時半過ぎでした.帰宅は,21時過ぎです.

何をしていたかというと,昨日は,祖父の四十九日法要でした.朝から色々と,父親の準備をサポートしていました.11時から法要が始まり,1時間強.その後,お墓参りをし,お食事となりました.

父親の仕事も,一先ずこれで一段落といったところでしょうか.

その後,祖父の自宅へ行き,仏壇を一通り掃除し,位牌を置き,お線香を上げてました.

その後,弟くん夫婦のベビーを見に,病院へと移動しました.小さな花束ですが持参して,面会しました.奥様も,元気そうで,ホッとしました.

お疲れ様でした.

で,この世に生まれて一夜が経ったベビーの顔立ちはくっきりとし,生命の強さを再認しました.伯父さんになってしまった私も,抱かせてもらい,写真をパチリ.

その後,慰労会(お疲れさま会)をお好み焼き屋さんで行いました.

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そんな一日でした.そして,色々考え深い一日でもありました.

『日常』ってなんなんだろう.って考えました.

現代人の『日常』って,「食べる」,「寝る」,「起きる」,「働く」・・といったことの繰り返しですよね.

でも,昨日感じたことは,『日常』って,実は,もっと「生」や「死」と密接に結びついているものではないか・・ と思ったんですよね.

現代の日本社会は,少子化であり生まれてくる命の数も少なくなり・・・ また医療や福祉の充実により死に行く人の数も少なくなりました.このことから,誕生(生)や消滅(死)が非日常化されてしまい,何か特別な儀礼的なことになってしまったような気がします.

生きるものの『手』には,生と死を繋ぐ力を持っているのだと・・ 死者の位牌や仏壇に供える原色の切花を手にした直後,生きる者の命を抱き抱え,パステルカラーの花束を抱える・・ そして,次元は全然違いますが,その手で,自分の生命を維持するための「食べ物」を頬張る.

でも,これが日常なのかもしれませんね.そして,これを切り離してはいけないんだと思うんです.「縁起が悪い・・」とかでね.

両方とも直視しなくちゃいけないんだと思うんです.何となく,そんなことを感じました.

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本日も,一日病院勤務です.今日から,1ヵ月カレンダーは,来年2010年1月のものに差し替えです.来週って,1月の4日.もう大学の講義が始まっているんですね.来年ですが・・来週です.

不思議な感覚ですよね.

 『人間の器量』 「優れた人はいる。感じのいい人もいる。しかし、善悪、良否の敷居を超える、全人的な魅力、迫力、実力を備えた人がいない。戦後、日本人は勉強のできる人、平和を愛する人は育てようとしてきたが、人格を陶冶し、心魂を鍛える事を怠ってきた。なぜ日本人はかくも小粒になったのか―。その理由と本質に迫ることこそが、日本人が忘れたものを再認識させ、人生を豊かにしてくれるのである。 」(「BOOKデータベースより引用)

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