生活保護不正受給報道をみて思うこと。
本日の東京は、曇り晴れです。そう。日食なのですが、雲の切れ間から観測できそうですね。私はその時間は電車のに乗ってます。
皆さんはどこで観測されるのでしょうか。
さて、福祉系ブログなので、このブログを見ている方にも、多くの福祉、医療従事者の方がいると思います。
今話題になっている、生活保護の不正受給の報道を見て思うことは、論点がずれていると言うこと。そもそも生活保護がどのような制度なのかわからず議論されていることに、憤りを感じるわけです。
立場上、あまり多くのことは語れませんが、不正受給はいけないことで、ルール違反です。これについては、キチンと対応していかなければいけません。
ただそれだけのこと。それが重要で、それ以外の無知の報道は単なる偏見しか生みません。
それを、運用や制度もわからない連中(あ、言葉が汚くてすみません)が、つまんだ知識で、公然と言論しちゃうところが、ね。イタイ。
私が一番問題だと思うことは、生活保護受給者や福祉サービスを利用する人々の人権が剥奪されてしまうことへの、懸念です。今の報道は、明らかに偏見と差別しか生みません。
もう一度言いますが、不正受給は悪ですよ。ルール違反です。だから、これは根絶しなければいけないんです。
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また、この議論に、最低賃金を単純計算した金額と比べる報道もありますが、全くのナンセンス。
比べるものではないし、もし、最低賃金が生活保護の受給額より安いのであれば、生活保護の金額を削るのではなく、最低賃金や、派遣などのシステムそのものを変えることが重要だと思います。生活保護は、日本国憲法の第25条に示された生存権保障の具体策であり、25条(1項)では、「すべての国民は、《健康で文化的な最低限度の生活》を営む権利を有する」と謳っているのであって、その具体的金額が生活保護基準で示される金額なんですよね。
だから、働いても、それ(生活保護費)に満たない金額の場合は、それそのものが問題で、それ自体を変えていかなければいけないと言うことです。
あと、はっきりいって、今日本の状況はそれだけ厳しいと言うことです。今の消費や経済を維持できるだけの力は日本にはありません。かなり、背伸びをして、無理をしているんですよね。
今、社会保障と勢の一体改革が議論されています。
それでも、社会保障を充実させてくと言うのであれば、私たち働くものは、もっともっと税を支払わなければいけない。
ただし、多く支払ったところで、今の国民の福祉観では、増税された税金は役所の中で無駄金として使われて終わるだけです。
なぜなら、それは、今回のこの生活保護不正受給にまつわる国民の福祉観がそうだからです。
つまり、税金をたくさん払って、個人の生活の保障してもらうと同時に、支払った税金が生活保護に利用されても、それを羨まないでいられるかと言うこと。
みんな、自分の生活が苦しいから、もらえる金額を見ると羨んじゃんですよ。
昔、本当に貧困だったときは、決して裕福ではないが、他より余りあるものは与えたもので、またそれがいつの日か自分に帰ってきたのです。
その価値観が今の日本国民にあるかと言うことです。
北欧では、高い税金を支払っても、生活保護で生活したい人はすればいいと言う、福祉観があるから、あの福祉政策がなりたつんですよね。
日本の報道では、生活保護はそんなにもらえるなら、働きたくなくなる人もいるとか、訳のわからない議論ばかりなのです。
もうこれくらいにしておきましょう。このまま続けていくと、個人名が出てきそうなので。
やっぱり、福祉の報道があるたびに、日本が福祉の後進国であることがわかります。福祉を学び、教える立場として、日本の福祉は先進国並みと思っていましたが、残念です。
とは、いってられません。福祉を伝える仕事をしているので一層の努力をしないとなぁ。
本日は、学科の会議です。一日頑張ります。皆さんも素敵な一日をお過ごしください。
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