今ある地球

26 3 月, 2012 (07:48) | コラム(ライフスタイル)

さて、3月も今週で終わり、来週から4月。そして新年度、入学式、新年度です。

昨年の今ごろは、心も体も麻痺していたことを思い出します。一日、一日をどう過ごしていたのかも不明瞭でした。

あれから、一年がたったんですね。


この週末は、生態学や、人類学などのいくつかの本を改めて読み漁っていました。

私たちの暮らしは、確かに文明によって、豊かになったかもしれません。ただその豊かさとは、「楽」をすることの究極を突き詰めた科学の結晶なのようなものだと思います。楽と言うか、融通のよさと言うか、コンビニエンスさとか。

おおくの科学は、この楽を作り出し、この楽な状態がすなわち人々の福利だと信じてきたのだと思います。

でも、その代償に、自己や家族を守る術を忘れてしまいました。
なぜなら、人生は、苦労そのものだからなのです。苦労を科学によって剥奪された我々は、非常に弱く脆い存在なのです。

人は苦しいから、欲し、そのために工夫するのです。そして、それが得られたときに一時的な満足を得ます。この連続が人生だし、福利なのだと思います。

いまは、欲しいものを手に入れるための、お金を稼ぐための苦労ですよね。

これが加速すると、短絡的に、お金を稼ぐ方法に走っていってしまいますね。
でも、お金があっても、それを使うための物資がなければどうでしょうか?
単純に、物資を得るために苦労をするはずです。


まだまだ人類は未熟なのに、2歳児の反抗期のように、全部自分ででき、全部自分が正しく、やって来た末の散らかってしまった子供部屋みたいな状況が、今の世界の状況だと思います。

だから、今までやって来た人類の「罪」は、無知だったため。それは言い訳にならないけれど、これからは、私たちが今ある地球や、今ある人生、生活を、どうしていくか、自己決定を迫られているのだと思います。


と、いうことを、悶々と考えた週末でした。

さて、今週一週間は新年度の準備に時間を当てたいと思います。

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